羽村市郷土博物館・企画展「昭和の水道拡張と玉川上水」にて掲示された1枚の古い地図に、玉川上水下高井戸村分水が記載されていました。
ところが地図の名前をメモったつもりだったのに、それがきちんと残っていませんでした。
なんてこったい!
昭和六年九月 東京市水道局という日付と名前が入った地図で、水道の計画を描いた地図です。その中に、「高井戸分水」という名前の水路が玉川上水から神田川に向けて描かれています。「高井戸分水」であって、「下高井戸分水」でも「下高井戸村分水」でもありません。
さて、この図を見ると、玉川上水からの取水点は屈曲部よりもかなり上流部に存在するように見えます。屈曲部から別れてはいません。
なかなか悩ましいですね。
とはいえ、大まかな地図なので、どこまで正確に描かれているかは分かりません。
玉川助上水 §
これとは別に、常設展の展示物の中で、「玉川助上水」という水路が北沢村付近から玉川上水から神田川に抜けている様子が描かれていました。これもちょっと気になります。ちなみに、甲州街道の南側から甲州街道の下を抜けて中野方面に伸びています。